おとうさんー「ありがとう」以外思い浮かばない
おとうさん、ありがとう。私は今、平凡に暮らしています。
おとうさんは子供と遊んでくれないおとうさんでした。そんなおとうさんが数年に1度、お正月休みに双六で遊んでくれたことは忘れられません。
小学校の夏休みの宿題の工作を一回だけ手伝ってくれたことも忘れられません。
毎年夏の御嶽山へ登らされたこと、それから、幼稚園だったか、それくらいの年に雪の残る山へお父さんと登っていて雪に足を取られて転んだ私を助け起こしてくれたお父さんの手も忘れられません。あれ以来雪山に登った記憶がないので、きっとおとうさんも反省したのでしょう。
中学の頃は、おとうさんがおかあさんと毎日のように喧嘩をするのが嫌でした。
高校になると、おとうさんとは離れて暮らしましたね。一番たくさん私に手紙をくれたのはおとうさんでした。
大学生になると、政治や経済の話を沢山してくれました。
そして私は気が付きました。おとうさんが子供の頃に遊んでくれなかったのは、どうやって子供に接したらいいのかわからなかったからだと。大人になった私とは、とても多くの時間を過ごしてくれて、また知識を与えてくれました。
就職して都会で一人暮らしを始めた私を出張の帰りだからと年に数回尋ねて来て、ホテルのレストランで夕食をごちそうしてくれたこと、そしてその都度年の離れたカップルだと勘違いされたことは忘れられません。顔似てないもんね。
結婚すると報告した時、あなたが決めたことだからおとうさんは反対しないよ、と言ってくれたことはちょっと忘れていました。
孫のために折り紙の折り方の本を買ってひそかに練習しているとおかあさんから聞いた時は微笑ましかったです。
定年退職した後も日々自分磨きをしていた姿は忘れられません。
余命1年だと宣告された時、ちょっと話したいことがあるから帰って来て、と飛行機代を出してくれたこと、それから毎日おとうさんの昔話を聞いたり、もう一度行っておきたいお店巡りをしたことは忘れられない記憶です。親孝行させてもらえたと感謝しています。
またね、といって別れる時、ぎゅってハグすればよかった。それは今でも心残りでしかありません。
夕食のさんまを焼いていた時、妹が電話口で「おとうさん逝っちゃった。。。」と泣きながら知らせてくれました。私は頭が真っ白になって泣きながらさんまを食べました。それ以来さんまは買っていません。
おとうさんを見送った日は桜が満開でした。
おとうさんの書いた手紙を見ては、もう新しい手紙が届くことはないんだと泣きました。おとうさんが闘病中に書き残したノートを読んでは、もうこの字を書く人はいないんだと泣きました。涙は3年位経ってからやっと枯れてくれました。
あれから何年経ったでしょう。私も老後について考えるような年になりました。
人生100年だと巷では言われています。どうなんでしょう。そんなに私は長生きするのでしょうか。平凡ながら、おとうさんと再会した時に恥ずかしくない生き方をしているつもりです。そしてこれからもそうありたいと思っています。
おとうさん、生き方を見せてくれて、ありがとう。
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今週のお題「おとうさん」